KHU

Concept, Graphic, Logo, VI+CI, Art Direction

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【Background】
ディレクターの山田遼志とアートディレクターの内藤愛によるアートコレクティヴ「KHU」が2023年3月より本格的に始動。
KHUとは、アーティストとして持続するためのシェルターであり、本質の新たな周縁を明らかにするための儀式の場として機能するものと2人は定義づける。そして、そのような場のあり方を彼らは「家」と捉えている。「あらゆるものは執着する必要がなく、執着しないからこそ尊く美しいものとして存在できる」という東アジアの禅的思想に共鳴しながら、その思想が生み出す循環に軽やかに身を委ね、この哲学から誘発されるアイデアに寄り添い、コンセプトにアートで応答するという禅問答のスタイルで作品を制作している。MY HEAD宮崎はそのロゴ制作を担当した。

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【Concept】
前述のコレクティヴのコンセプトは非常に思想的であるため、第三者に一言で説明するのは難しい。それ故に、なるべく端的に表現するにはどうしたら良いかをまず考えた(端的というのは、ビジュアルではなく、ナラティブとしてである)。そこで、まずは「空(KHU)」の意味を正しく理解するためのリサーチを始めた。

「空」は、仏教思想において最も重要な教えの一つであり、「無」と「有」、「否定」と「肯定」の両方の意味を持つ。虚ろであるが故に内包する可能性を持つ存在だとも言える。また、「空」はすべてのものは他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを「空」という。すべては空であって、本来、聖でも俗でもないものを判断するのは、心の分別作用によるものということだ。つまりは、聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者は不二である。

以上の空の意味と、彼らとの会話から、KHUのシンボルであるべきロゴで表すものは、その二律背反性であると考えた。彼らの中心にある「空の家」の思想とは、「家があるからこそ、外で活動できる」といったような、内と外の非解離性を認めるものであったからだ。
彼らの問う「意味」と「無意味」、彼らが作る「日常」と「非日常」、彼らが用いる「言語」と「非言語」、彼らのコレクティヴの「内」と「外」。それらを同時に存在せしめる「中心」こそが、「KHU」であると思えた。

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【Logo Design】
しかし、それでもそのコンセプトが難解であることには変わりがない。そこで、デザインモチーフとしては「円相」を用いることに決めた。禅において「空」を象徴する存在は常に「円」であった。そのナラティブを前提知識として間借りすることで、大幅に思想の説明を圧縮できる。
禅における円相は、悟りや宇宙、真理、その解釈は観る人間に委ねられることを表す。また、始まりも終わりもなく角に引っかかることもない円の流れ続ける動きは、執着から解放された心を表現したものとされる。この理解を前提として置けることは大きい。

そして、コレクティヴにおいて円相は、KHUを内包するのではなく、KHUの中にあり、それが自由に動き回っているイメージであることが正であると考えた。KHUは決してその思想の中に囚われているわけではない。その中に内包されていては、本末転倒である。故に、円相があり、その軌跡がKHUという記号を形成する図像をロゴマークとして採用した。

また、ロゴマークの文字(記号)部分は梵字を参考にし、それを崩すことにした。観た時に形よりも即座に意味が入ってくる「文字」という存在は、前述の「空」の概念とは少し離れているように感じる。文字は「有意」が強すぎて、「無意」へのバランスを欠く。故に、可読性はあまり関係なく、寧ろ可読性のなさとのバランスをどう取るのかを考えることが正解のような気がした。梵字のような「意味が置き去りになってきている(知っている人は知っている)」バランスの文字が望ましいのではと考えたのだった。

最後に、上記は、二段階の説明を可能とするためのデザインでもある。すなわち、一段階目のライト層には、「円相がKHUを泳いでいる(または内包している)」の一言の説明で良く、さらに深層を知りたい人には、円相が表すもの、そしてKHUの持つ二律背反性の意図を細やかに説明し、思想部分に触れさせれば良い。そういうロゴの構造を目指したのだ。

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Art Director / Graphic Designer: Yu Miyazaki
Client: KHU
KHU(YouTube)