LAHTI POSTER TRIENNIAL 2021

21.3.13 / Journal

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フィンランドの『ラハティ国際ポスタートリエンナーレ』に、自主制作ポスター『TOKYO 2020』が、入選しました。

この国の本当の病とは。
そんなことを浮き彫りにされた2020年だったと思います。下記に、このポスターを作った時の思いを再掲しておきます。(2020.4.4記)



皆2020年に期待しすぎていた。
僕がまだ広告制作会社にいた頃、オリンピックの東京招致が決定した。その瞬間から、僕らは2020という言葉を剥奪された。
一部の協賛企業を除いては、「オリンピック」という単語はおろか、「2020」「東京の夢 / 未来 / 希望」といったオリンピックを連想させる言葉は、広告において一切使ってはいけなくなったのだ。
過去のそんな取り決めをした人たちに、本当の東京2020の有様を教えてあげたら、どんな顔をするだろう。
赤くなったり、青くなったり、苦虫を噛み潰したりするだろうか。
希望に満ち満ちたはずの2020年は、それよりずっと以前のエンブレム問題から、どこか狂い始めていた。
新国立競技場問題、築地市場の移転、水質汚染、コンパクト五輪なんて売り文句とは対照的に、膨らむ予算。利権。問題、問題、問題。
マラソンなんてもはや東京でもなく、札幌で開催なんてことになったりして。
そして、コロナウイルスの発生。
こんな彼らに、そして僕らに食い止められるはずもなく、2020年中の開催も不可能という顚末になり、ついには「2020」という言葉すら空虚になった。
「TOKYO 2020」はどこへ行ってしまったのだろう? なんのためにあの時、僕らはそれを剥奪されたのだろうか?
しがみついていた言葉の利権やイメージも、所詮は値崩れするハリボテだった。言葉にすら価値を求めた結果、言葉は言葉に過ぎなかった。
この国は、コロナウイルス以前に大きな病に罹っていて。
皮肉にもオリンピックがそれを浮き彫りにしてしまった。1964年に日本の底力を見せつけたそれとは対照的に。
もう落ち切った。そう思う。
だからこそ今この2020年から、どうやって自分たちが這い上がるかを考えなければならない。それをもって、未来に「TOKYO 2020」を明るく語ることの手みやげにしよう。
まずはこの国の病を治してから。


追記1
オリンピック、コロナウイルス、自粛、買い占め、世界的恐慌、政治の腐敗、愚策。
日々巻き起こるあれこれに対する思いを、一度吐き出してグラフィックにしてみた。僕はグラフィックデザイナーだから。


追記2
フォントの「O」や「0」など、錯視のために文字のベースラインからちょっとだけはみ出させて調整する部分の用語は「オーバーシュート」という。野暮だが、文字列を飛び出させている理由はそこにかかっていたりする。